栃木県 大田原市(おおたわらし)
2005年10月1日に那須郡湯津上村・黒羽町を編入した。
大田原市マンホール

撮影:大田原市薄葉《うすば》/2023.5

「平家物語」で、義経の命を受け、馬を海に乗り入れて扇の的を射る下野の住人「那須与一」を描いた汚水用無彩色マンホール蓋。

画像にマウスポインタを重ねると、黒羽庁舎内にある大田原市観光交流センターに展示されていたカラー見本盤に入れ替わる。(カラー見本盤を別ウィンドウで表示

大田原市マンホール

撮影:道の駅「那須与一の郷」/2010.11

「平家物語」で、義経の命を受け、馬を海に乗り入れて扇の的を射る下野の住人「那須与一」を描いた雨水用カラーマンホール蓋。カラー盤は道の駅のレストランの表と裏に1枚ずつ設置されていた。

(写真下)道の駅「那須与一の郷」の裏手にある「那須神社(金丸八幡宮)」。屋島の戦で、与一が目をつぶって、「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ。……」と祈念した、あの八幡。もっとも、社殿はその頃からあったわけではなく、与一が宣伝したおかげで再建されたそうだ。

大田原市マンホール ▼那須神社

(写真左)道の駅と那須神社の間の道には、無彩色の農集排のマンホール蓋がたくさん並んでいる。

大田原市マンホール

撮影:「トコトコ大田原」南側のタイル舗道/2018.11

マンホールカード掲載のカラー盤。下部左側が用途ではなく「2013」。

 ■ 大田原市マンホールカードA ■ 取得:2023.5  大田原市観光交流センター
大田原市マンホール大田原市マンホール 【デザインの由来】(マンホールカード裏面の文章)
平安時代末期の武将、弓の名手「那須与一公」をデザインしたマンホール蓋です。源平屋島の戦いで、波に揺れる平家の舟に掲げられた扇の的を見事一矢で射落とした与一公の姿を描いています。与一公が亡くなった後、その子孫が大田原の福原を治めることになり、与一公の魂を弔うため玄性寺に墓を建てたことから、ここ大田原には与一公に関する数多くの社寺・墳墓・史跡が残っています。毎年8月に開催される「与一まつり」では、武者行列が行われ、甲冑姿の那須与一公、武将、女官、子供武者など約400人が通りを練り歩く姿は圧巻です。出陣前には国重要文化財指定の那須神社で祈願式が行われます。
▼大田原市観光交流センターの展示
▼コロナ5類移行後も与一くんはマスク姿
大田原市マンホール

撮影:中央多目的公園の歩道/2020.10

ちょっとびっくりの与一くんファミリーの汚水用カラーマンホール蓋。

消火栓の蓋と見紛うような濃いオレンジ色の地色に、左から「与一くん」、娘の「瑠璃姫」、妻「愛弓さん」と息子の「一矢くん」が並んでいる。ファミリーの名前は公募でつけられたようだ。上部に「与一の里/大田原」のマーク、下部に「おおたわら」、「おすい」の文字。

下左は、この蓋を撮影した中央多目的公園の歩道。

下右は、トコトコ大田原3階市民交流センターの展示盤。それぞれの蓋の部分をクリックすると別ウィンドウで拡大表示。

大田原市マンホール

撮影:「金燈籠」交差点付近の歩道/2018.11

大田原市観光協会所属のキャラクラー「与一くん」を描いたカラープレート型の蓋。上に「OHTAWARA」、下に「歴史とロマンの里」の文字が入っている。

「与一の里/大田原」のマークの赤い丸は、平家物語の扇の的の中で「みな紅の扇の日出だしたる」と扇に描かれた日輪なのだろう。それを貫いているのが与一が放った鏑矢ということで先端が二股になっている。肝心の鏑がないので「長鳴り」する音は出そうにないが……。

大田原市マンホール

撮影:中央多目的公園の歩道/2020.10

上と同デザインの大田原市観光協会所属のキャラクラー「与一くん」を描いた空気弁のカラーマンホール蓋。

空気弁らしい水色の地色で、上右に市章、右に「与一の里/大田原」のマーク、下部に「大田原市」、「空気弁」の文字が入っている。

大田原市マンホール

撮影:「トコトコ大田原」付近/2018.11

大田原市観光協会所属のキャラクラー「与一くん」を描いた消火栓の蓋。

こちらは消火栓らしいオレンジ色の地色。上右に「与一の里/大田原」のマーク、左に市章、下部に「大田原市」、「消火栓」の文字が入っている。

下左は、「那須与一の郷」の与一像。

下右は、「那須与一の郷」内の展示盤(2020年10月撮影)。それぞれの蓋の部分をクリックすると別ウィンドウで拡大表示。

 旧・黒羽町(くろばねまち・那須郡)
大田原市マンホール

撮影:「芭蕉の館」付近/2010.11

2005年10月1日、大田原市に編入された。

旧・黒羽町の木「スギ」と町の花「ヤマユリ」と町の鳥「ウグイス」。右上に「羽」の中に「黒」と書かれた町章。

特定環境保全公共下水道黒羽処理区の蓋。

ここ黒羽は、「おくのほそ道」の中で芭蕉が「夏山に足駄《あしだ》を拝む首途《かどで》哉」と詠んだ地。芭蕉に関わる資料と、黒羽藩主大関家の資料を展示した「芭蕉の館」があり、近くには芭蕉が泊まった「浄法寺家」もある。

大田原市マンホール

撮影:大田原市八塩/2023.5

上とは仕様が異なる子蓋を収めた親子蓋。

大田原市マンホール

撮影:「芭蕉の館」付近/2010.11

上のハンドホール。下は芭蕉と曽良の像。

大田原市マンホール

撮影:「那珂川歩道橋」付近/2018.11

特定環境保全公共下水道黒羽処理区のカラー盤。

上と同デザインのカラーサンド塗装盤。ウグイスの色が少し変だけれど……。

大田原市マンホール

撮影:大田原市蜂巣《はちす》/2023.5

上と同デザインで「集排」の文字が入った川西第2地区(または川西第1地区)の農業集落排水の蓋。

大田原市マンホール

撮影:大田原市黒羽向町/2023.5

上と同デザインだが仕様が異なる川西第2地区の農業集落排水の蓋。

大田原市マンホール

撮影:大田原市黒羽向町/2023.5

上と同デザイン同仕様の子蓋を収めた川西第2地区の農業集落排水の親子蓋。

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