熊本県 山鹿市(やまがし)
2005年1月15日に、山鹿市、鹿本郡鹿央町・鹿北町鹿本町菊鹿町が合併し、新・山鹿市が発足した。
山鹿市マンホール

撮影:鹿本町来民の中町商店街/2011.1

絵柄は、国の重要文化財「八千代座」と灯籠踊り。

 八千代座は江戸時代の芝居小屋の姿を残した全国でも数少ない貴重な文化遺産である。
 升席、桟敷などの客席構成や人力でまわす廻舞台、花道、すっぽんと呼ばれるセリなどの舞台機構は日本の伝統的な様式を伝えている。
 明治43年に当時の山鹿の実業界有志が出資して建設した。明治44年1月にこけら落としの歌舞伎が上演された。以来、昭和48年頃まで数多くの芸能人、演奏家などが舞台に立った。世相の変遷により13年あまり閉鎖された為に老朽化が進んだが文化遺産保存の盛り上がりと共に昭和63年12月国の重要文化財に指定された。
〈山鹿中央ロータリークラブ設置の説明版より〉

山鹿市マンホール

撮影:八千代座付近の自動販売機の前/2011.1

「八千代座」のそばにもあった小型盤。

山鹿市マンホール

撮影:「八千代座」付近/2011.1

山鹿踊りに使われる「金灯籠」。材料は和紙と糊。

山鹿市マンホール

撮影:山鹿市山鹿/2011.1

上と同デザインの小型盤。

街路灯も金灯籠を模している。

山鹿市マンホール

撮影:山鹿市山鹿/2011.1

上と同デザインだが金灯籠の凹凸が逆になっている汚水用マンホール蓋。

山鹿市マンホール

撮影:鹿本町来民の中町商店街/2011.1

一本松公園にある「石のかざぐるま」。実際に風で回った。

山鹿市マンホール

撮影:鹿本町来民の中町商店街/2011.1

上と同デザインの無彩色盤。

他の自治体で石の風車をマンホールの蓋に描いているのは高知県の四万十町(旧・大正町)。蓋には描かれていないが、鳥取県の琴浦町(旧・赤碕町)にも石の風車がある。

山鹿市マンホール

撮影:山鹿市蒲生の三玉地区/2011.1

絵柄は、「不動岩」と「ミカン」と3つの玉(三玉)。

この蓋は三玉《みたま》地区の集落排水の蓋で、この辺りでしか見られないようだ。不動岩を目指して県道197号線を走っていたら、金比羅神社の黒い鳥居(左の写真の奥)が見えてきた。鳥居をくぐる道は不動岩に続いているようだったので、車を進めると、路上にこの蓋があった。

奇岩「不動岩」の名は、平安時代に山中にこもって修業をしていた山伏たちが不動明王を本尊として祀ったことに由来しているそうだ。ちなみに、昭和の相撲取りに「不動岩」という熊本県出身、身長214cmの巨人力士がいたそうだ。山鹿ではなく、熊本市の生まれだそうだが、この岩を意識したしこ名ではなかっただろうか。

山鹿市マンホール

撮影:山鹿市蒲生の三玉地区/2011.1

三玉地区の集落排水の蓋、無彩色盤。

 旧・鹿北町(かほくまち・鹿本郡)
山鹿市マンホール

撮影:鹿北町芋生付近/2011.3

毎年10月に全国大会が行われるという「鹿北茶山唄」の様子が描かれている。

 旧・鹿本町(かもとまち・鹿本郡)
山鹿市マンホール

撮影:「鹿本町来民」交差点北方/2011.1

旧・鹿本町の特産は、「菊」、「メロン」、「イチゴ「、「来民《くたみ》渋うちわ」。そのうちの「メロン」を描いた汚水用マンホールの蓋。

上のほうにある「石のかざぐるま」は鹿本町時代に、うちわ→風→かざぐるまという発想から鹿本町が作ったものだそうだ。蓋もうちわバージョンがあってもよかったと思う。「石のかざぐるま」の蓋には「やまが」の文字があるが、設置されているのは鹿本町来民《くたみ》の商店街である。

 旧・菊鹿町(きくかまち・鹿本郡)
山鹿市マンホール

撮影:「歴史公園・鞠智城」前の路上/2011.1

鞠智城の軒丸瓦を描いた蓋。

鞠智城《きくちじょう・くくちじょう》は、7世紀後半に来寇に備える軍事拠点として築かれた古代山城(朝鮮式山城)で、大宰府管轄下にあった6城の1つ。

平成6年から歴史公園鞠智城・温故創生館として整備が開始され、校倉造りの米倉や兵舎、八角形鼓楼が復元されている。

八角形鼓楼は、遺構が発掘された場所より幾分北側に復元されている。写真手前の一見ストールのようにに見えているのは柱の跡。こんなにたくさん柱があるので、実際に楼をのぞいてみても居住空間はほとんどない。だからこそ鼓楼と位置づけられたのだが……。

この近辺には古墳も多く、邪馬台国=九州説もなるほどという気持ちになる。

山鹿市マンホール

撮影:菊鹿町木野/2011.1

熊本県一の彼岸花の名所であり、棚田でも知られる「番所」地区の風景と、町の花「ヒガンバナ」を描いた集落排水の蓋。奥の山は八方ヶ岳。

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