静岡県 下田市(しもだし)
下田市マンホール

撮影:伊豆急行線下田駅付近/2010.1

デザインは、ご存知、黒船。1854年、元来風待ち港だった下田に、ペリー提督率いる米国海軍が日米和親条約により来航。これにより鎖国政策に終止符が打たれ、近代日本の幕開けとなった。黒船の外輪に市章が描かれている。

この黒船デザインは街のあちこちにあるが、下田駅前にはサスケハナ号の模型(下左)が展示されている。また、下田湾内を巡る観光船(下右)もこれに倣って建造されたもの。

下田市マンホール

撮影:下田郵便局付近/2011.11

上のカラー盤その1。

下田市マンホール

撮影:伊豆急行線下田駅向かい側の路地/2011.11

上のカラー盤その2。

下田市マンホール

撮影:伊豆急行線下田駅向かい側の歩道/2011.11

上のカラー盤その3。

下田市マンホール

撮影:伊豆急行線下田駅ロータリー/2023.9

マンホールカード掲載の新たなカラーマンホール蓋。デザインは従来のものと同じだがカラフルになっている。

マンホールカード裏面の色合いはこの蓋と近い。

 ■ 下田市マンホールカードA ■ 取得:2023.9 道の駅 開国下田みなと
下田市マンホール下田市マンホール 【デザインの由来】(マンホールカード裏面の文章)
本マンホール蓋は、「開国のまち下田」を表す図案として、幕末期に来航し日本を開国に導いたアメリカの海軍提督ペリー率いる黒船艦隊が、下田が誇るきれいな海を航行する姿をモチーフにデザインされました。下田入港時にペリーが乗船していたのは、当時最新鋭の外輪式蒸気船ポーハタン号で、巨大な黒い船体と外輪で進む姿に多くの日本人が驚きました。ペリー来航により日本は開国し、下田港は日本で最初に西洋諸国に開かれた港(開港場)となりました。多くの西洋船舶が寄港し、上陸した外国人と町人との交流も生まれ、市内には今でも幕末開港の歴史を伝える品々や史跡が数多く残っています。
下田市マンホール

撮影:外浦区集会所前

親子蓋。親蓋は亀甲模様で大径。

下田市マンホール

撮影:下田市中/2022.9

上と同デザインだが市章の比率が大きい小型盤。

下田市マンホール

撮影:伊豆急行線下田駅付近/2010.1

市章入りのJIS規格パターンの汚水用。

市章については、市のホームページに書いてあったが複雑、簡単に言うと、「下」の「田」と錨の形で下田を表している。

下田市マンホール

撮影:伊豆急行線下田駅付近/2010.1

こちらもJIS規格パターンの汚水用だが、字体が古い。中央の市章も正しい形ではないようだ。(上のほうが正確。)

 下田浄化センター(しもだじょうかセンター)

撮影:下田浄化センター

所在地は道の駅の対岸と言っていい下田市須崎1801。

下田市マンホール

撮影:下田浄化センター/2023.9

浄化センター内の展示盤。

下田市マンホール

撮影:下田浄化センター/2023.9

下田駅前ロータリーに設置されている蓋と同じ色合いの見本盤だが、展示はされていなかった。

 静岡県・情報ボックス(しずおかけん・じょうほうぼっくす)
下田市マンホール

撮影:伊豆急行線下田駅付近/2010.1

静岡県の情報ボックスの蓋。

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