東京都 国分寺市(こくぶんじし)
国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅北口マクドナルド前/2010.1

図柄は市の木「サツキ」。だいぶ傷んでいる。

国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅南口付近/2010.1

上の無彩色盤。

国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅南口付近/2010.1

少し小さいサイズ。図柄は上のものとほとんど同じだが、花の色のつけ方や周りの白い帯など、違いも多い。

国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅南口付近/2010.1

上の無彩色盤。

国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅南口付近/2010.1

通常サイズのカラー盤とデザインは似ているが、花びらや葉の部分の凹凸のつけ方が逆で、無彩色盤専用のようだ。

国分寺市マンホール

撮影:お鷹の道湧水園付近/2023.4

仕様違い。

国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅北口付近/2018.3

盤面の上から「60th ANNIVERSARY PENCIL ROCKET」の文字、国分寺市イメージキャラクター「ぶんじほたる ホッチ」とペンシルロケット。ホッチの頭の横には「コク」「分」からなる市章も小さく描かれている。

昭和30(1955)年、糸川英夫博士率いる東大生産技術研究所が、国分寺市本町一丁目の南部銃製造所(現早稲田実業学校)で日本初のロケット発射実験を行なったことから、国分寺市は「日本の宇宙開発発祥の地」として2006年に「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑を建立、2015年には60周年記念として日本のロケット12種類を描いたマンホール蓋を設置したとのこと。

以下、国分寺駅北口から早稲田実業学校前の「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑までの歩道にあった12種類の蓋をナンバー通りに並べた。

▼ペンシルロケット [ 1955 ]国分寺市マンホール ▼L-4S [ 1970 ]国分寺市マンホール
▼M-4S [ 1970〜1972 ]国分寺市マンホール ▼M-V [ 1997〜2006 ]国分寺市マンホール
▼N-I [ 1975〜1982 ]国分寺市マンホール ▼N-II [ 1981〜1987 ]国分寺市マンホール
▼H-I [ 1986〜1992 ]国分寺市マンホール ▼H-II [ 1994〜1999 ]国分寺市マンホール
▼J-I [ 1996 ]国分寺市マンホール ▼H-IIA [ 2001〜 ]国分寺市マンホール
▼H-IIB [ 2009〜 ]国分寺市マンホール ▼イプシロン [ 2013〜 ]国分寺市マンホール
▼国分寺駅北口付近にある案内板
▼早稲田実業学校の「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑
 ■ 国分寺市マンホールカードA ■ 取得:2021.11 国分寺市役所
国分寺市マンホール国分寺市マンホール 【デザインの由来】(マンホールカード裏面の文章)
日本初のロケット水平発射実験は、1955年4月12日、東京大学生産技術研究所の糸川英夫博士らによって国分寺市内(現・早稲田実業学校所在地)で行われました。同実験から60周年を迎えた2015年、国分寺市は歴代のロケットを描いた12種類のマンホール蓋を製作し、JR国分寺駅北口から早稲田実業学校にある「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑へと続く歩道上に設置しました。本デザインはその中の1つで、当時の実験に使用された全長23cmのペンシルロケットを描いたものです。ペンシルロケットはまさに日本の宇宙開発の原点であり、遥か宇宙を目指した先人たちの希望や情熱を現代に伝えています。
国分寺市マンホール

撮影:お鷹の道湧水園前/2023.4

武蔵国分寺跡史跡指定100周年を記念して作られた蓋。マンホールカードの座標蓋。

デザインは全国から募集したロゴマークとキャッチフレーズ「天平の記憶 つないだ100年 つなぐ100年」。

武蔵国分寺跡は大正11(1922)年に国史跡に指定。

シンボルマークにも描かれている武蔵国分寺七重塔の推定復元模型。

七重塔は鎮護国家を目的として建てられた国分寺のシンボルで、塔の内部には聖武天皇勅願の「金字金光明最勝王経」一部十巻の法舎利が納められた。

武蔵国分寺の塔の高さは推定約60mあったそうで、創建から80年ほど後に焼失したが、その後、再建。

この復元模型は設計書を参考に10分の1スケールの縮尺で製作したそうだ。

 ■ 国分寺市マンホールカードB ■ 取得:2023.4 史跡の駅 おたカフェ
国分寺市マンホール国分寺市マンホール 【デザインの由来】(マンホールカード裏面の文章)
聖武天皇は奈良時代に、諸国に国分寺の建立を命じました。その中でも武蔵国には全国でも最大規模を誇る国分寺が建てられました。建物は鎌倉時代末に戦火で焼失しましたが、その歴史的重要性から、1922年に国史跡に指定されています。このマンホールは2022年に武蔵国分寺跡史跡指定100周年となることを記念して、全国からロゴマークとキャッチフレーズを募集し、市民投票で選ばれたデザインです。国分寺跡の「国」に中門と七重塔を配置したマークと、史跡を未来につないでいく想いを込めたフレーズは、100周年を祝うにふさわしい組合せです。
国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅南口付近/2010.1

毘沙門亀甲文様の蓋。中央に「コク分」を図案化した市章。

国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅南口付近/2010.1

複雑なテトラパターン。中央に「コク分」を図案化した市章。

国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅南口付近/2010.1

円をつないだパターン。中央に「コク分」を図案化した市章。

国分寺市マンホール

撮影:国分寺駅南口付近/2010.1

亀甲パターン。中央に「コク分」を図案化した市章。

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